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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)5675号 判決 1963年1月30日

原告 銀座昭興株式会社

被告 岩波建築事務所こと岩波楊

主文

被告は原告に対し別紙物件目録<省略>記載の室およびこれに附属する踊場を明け渡すべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金一〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

被告において金三〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決および仮執行の宣言を求めその請求原因および被告の抗弁に対する答弁および再抗弁として次のように述べた。

一、原告は別紙物件目録記載の室およびこれに附属する踊場(以下本件室および踊場という)の所有者である。しかるに被告は原告に対抗すべきなんらの権限もないにかゝわらず本件室内にテーブル数脚を置きこれらを使用して本件室および踊場を占有している。よつてここに被告に対し本件室および踊場を明け渡すことを求める。

二、被告の主張事実中原告が昭和二二年一月頃当時戦災で焼けビルとなつていた本件ビルの改修を新日本住宅研究所こと桑野球作に依頼したことがあること、原告が桑野に本件室および踊場を賃貸したこと、本件ビルの入口に被告表示の看板を原告の管理人藪多嘉子が掲げたこと、昭和三五年頃原告代表者の妻が右管理人に代つて一時本件ビルを管理していて被告の事務所に出向いたことがあることはいずれも認めるがその余の事実はすべて否認する。けだし桑野は本件室を被告に賃貸したことはなく、桑野は本件室内にあるテーブル三脚を被告に賃貸したもので被告が賃料と称するのは右テーブルの使用料であつて室の賃料ではない。したがつて右被告と桑野の法律関係が本件室の賃貸借(転貸借)でないのに原告がこれについて明示又は黙示の承諾をするということはありえないからである。のみならず被告がした本件室入口及びガラス戸にした被告名標識は原告の承認したものでなく、かえつて原告はその撤去方を求めていたものであり、ビル入口の掲示は郵便局からいわれて管理人藪が独断でしたものに過ぎず、原告代表者の妻は右藪の病気中代つて郵便物を各室に配つただけであり、これらによつて原告が被告のテーブル使用による部屋の占有を承諾したとすることはできない。

三、桑野は本件室および踊場を自己の経営する新日本住宅研究所の研究室として使用するため昭和二二年頃原告より賃借し同室内にテーブル五脚をて置い本件室を使用していたところ昭和二三年頃被告より右テーブルの使用方申込をうけ、桑野は当時病気中で右テーブルを使用していなかつたことから全快後適当な時期に返還をうけることとし使用料をテーブル一脚につき一ケ月金一、〇〇〇円とし、被告は桑野の請求あり次第テーブルを返還するとの約で右テーブル五脚のうち三脚について一時使用の賃貸借契約をした。

しかるにその後昭和二五年頃桑野は病気が平癒して、自己使用の必要から被告に右テーブルの返還を再三求めたのに対し、被告はその都度いましばらく使用させてもらいたいということで猶予を求め、右返還請求に応じないまま昭和三六年一月一九日桑野は原告と台東簡易裁判所において本件室の賃貸借契約を同日合意解除し本件室および踊場を返還するとの即決和解(同庁昭和三六年(イ)第一八一号事件)をしたものである。従つて仮りに被告のテーブル使用が原告に対抗し得るものとしてもこの時以後は被告は何らの権限もなくなつたのである。

四、被告の再々抗弁事実はすべて否認する。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決および仮執行の宣言あるときは担保を条件とするその免脱の宣言を求め、答弁および抗弁ならびに再抗弁に対する答弁および再々抗弁として次のように述べた。

一、原告の主張事実中本件室および踊場が原告の所有で被告が本件室および踊場を占有していることは認める。その余の事実は争う。

二、被告は本件室および踊場につき賃借権を有する。すなわち、

(1)  原告は昭和二二年一月頃新日本住宅研究所こと訴外桑野球作に当時戦災のため焼けビルとなつていた原告所有の東京都中央区銀座東四丁目四番地所在の新研ビルの改修を依頼し、そのために桑野は原告会社に出資しその株主となり又役員にもなつて同時に右ビル内の本件室を含む一〇三号室および踊場についての管理権を得たものであるところ、被告は昭和二三年頃桑野から本件室を賃料一ケ月金一、〇〇〇円とし期間の定めなく賃借したものである。原告は右ビル各室の賃貸を業とする株式会社であり、桑野は右管理権にもとずき原告の代理人として被告と右賃貸借契約をしたものであるからたとえ右契約が桑野名義でなされていてもそれは原告のためになされたものであつて結局被告は原告から本件室および踊場を賃借したものであることに変りはない。

(2)  仮にそうでないとしても桑野は新研ビル改修のために金銭および労務を費した代償として本件室を含む一〇三号室およびこれに付属する踊場の区分所有権を原告から与えられたもので、桑野は右所有権にもとずき被告に前記賃貸をしたものである。

(3)  以上の事実が認められず桑野は昭和二二年一月頃以来自ら原告から本件室を賃借しているに過ぎないものとしても、原告と桑野との間の右賃貸借契約においては転貸につき賃貸人の承諾を要しないとの特約があるから桑野と被告との間の前記賃貸借(転貸借)は原告の承諾の有無にかかわらず原告に対抗できるものである。

仮に右承諾を要しないとの特約が認められないとしても被告は本件室および踊場の転借について原告の明示又は黙示の承諾を得たものである。すなわち

(イ)  昭和三〇年頃原告代表者加藤武が本件室で被告に対し本件室の転貸を承諾し、昭和三二年頃には被告が原告代表者に対して本件室が暗く被告の職業である製図等をするのに不便であるから本件ビルの屋上を増築して貸与されたいと交渉したところ、原告代表者は増築はさしあたり無理だから本件室を使用していてくれと述べた。

(ロ)  次に被告は昭和二八年頃から本件室の入口に被告名表示の名札看板を、又昭和三〇年頃より室入口のガラス戸に被告名標識をいずれも原告会社の承諾を得て掲示したものである。しかも原告自身本件ビルの入口に被告名表示の看板を掲示している。

(ハ)  さらに昭和三五年頃に本件ビルの管理人藪多嘉子に代り原告代表者の妻が管理人となり被告方事務所にしばしば出向いていたし、原告代表者およびビル管理人藪のいずれも被告がこれまで本件室を使用してきたのに対し昭和三六年五月六日の内容証明郵便による明渡請求をするまでは一度も被告に明渡を求めたことはなく、昭和三〇年頃被告は本件室に被告名義の電話も架設し、以後引続き設置しているものであるが同電話を本件室に架設するについては配線工事をビル内で行う必要上ビル所有者である原告の承諾を要し、被告は右承諾を得て右施設をなしたものであり、原告が暗黙に右転貸借を承諾していることは明らかである。

三、原告主張の再抗弁事実中原告と桑野の間に昭和三六年一月一九日原告主張の和解が成立したことは認めるがその余の事実は争う。右和解における合意解除は被告の本件室に関する転借権の基礎である桑野の本件室についての管理権、区分所有権又は賃借権を失わせるために桑野の原告会社からの退職にことよせてした原告と桑野の通謀虚偽表示であつて無効である。仮にそうでないとしても、被告の転借人たる地位は転貸人の法律行為と賃貸人の意思の介入とによつて形成されたものである以上賃貸人および転貸人すなわち原告と桑野は転借人たる被告の地位を保持する法律上の拘束をうけるものとなすことが信義則に合致するから基本の賃貸借関係が合意解除によつて消滅しても転借人である被告は賃貸人たる原告に対し転債権を対抗することができる。<立証省略>

理由

一、本件室および踊場が原告の所有で、被告がこれを占有していることは当事者間に争いがない。

二、そこで被告の賃借権の主張につき判断する。

(1)  被告は桑野が原告から本件室等の管理権を得たと主張し、証人桑野球作の証言および被告本人尋問の結果中にはいずれも右主張にそう部分があるが、それらはいずれも証人城谷孫千代および原告代表者の各供述およびこれらにより成立の認められる甲第八号証の記載とにくらべて採用することができず他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(2)  次に被告は桑野は右新研ビルの改修につき金銭および労務の出資をしその代償として原告から本件室を含む第一〇三号およびこれに附属する踊場の区分所有権を得たものであると主張する。

しかし右の点に関する証人桑野球作の証言はそれ自体きわめてあいまいであり、あるいは同人の誤解に出るものであつてこれによつて右事実を認めるには十分ではなく、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

かえつて前記甲第八号証の記載、証人城谷孫千代の証言及び原告代表者尋問の結果及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、桑野は昭和二一年一月ごろ原告から当時焼けビルだつた本件ビルの改修を依頼され(この事実は当事者間に争ない)その代償として二階以下の賃借権を取得したが、いくばくもなく右工事が自己一人の手におえないところから同年二月ごろ同人及び城谷孫千代、金子輝雄の三人からなる新研興業組合に原告の承諾を得てその権利義務一切を引きつぎ、組合はビルの改修を了し、その各室を他に転貸していた、桑野は個人として組合から本件室を含む一〇三号室、一〇一号の二室を転借して自ら使用していた、その後組合は昭和二七年ごろ原告にその賃借権を返し原告からその対価として金一三〇万円の支払を受けて解散し爾後桑野の前記転借権は原告との間の賃貸借となつたものであり、要するに右ビルの改修について桑野が自ら個人として資金労力を費したことはなく、その代償として区分所有権を得たものでもないことが明らかである。

(3)  次に桑野が原告より本件室および踊場を賃借したることは当事借間に争いがない。

もつとも右桑野の賃借権は当初のそれからいつたん新研興業組合に引きつがれ、あらためて組合から転借していたものを、組合解散後原告から直接賃借することとなつたものであること前認定のとおりである。

そこで被告は桑野から本件室を賃借したものであると主張するのに対し、原告は右転借の事実を争い桑野は被告に本件室内にあるテーブルを賃貸したのであつて本件室を賃貸したのではないと主張するのでこの点につき判断する。

成立に争いのない乙第一ないし第三号証、第九号証の一ないし五および証人末次通子、桑野球作、辻一夫、城谷孫千代、金子フジの各証言および被告本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせると桑野は本件ビル内の第一〇三号室及び一〇一号室を前記経緯で賃借して以来はじめはこれを自ら使用して自己の営む新日本住宅研究所の仕事をしていたが、その後本件一〇三号室を間仕切りして二つに分け、その向つて右側の室部分即ち本件室にはテーブル五脚を置き内一脚は自ら使用し、他の一脚は金子輝雄にテーブル料金一ケ月一、〇〇〇円の約で使用せしめ、昭和二三年ごろからは残りの三脚を被告に使用せしめ、テーブル料金名義で一ケ月三、〇〇〇円を徴していたが、その後金子が死亡し、桑野が自己使用をやめたりして結局現在は被告が全部のテーブルを使用するようになつたこと、被告は当初からここを自己の営む建築事務所として使用しており、そこに被告および被告の事務員が通勤して右テーブルを使用して事務をとつていること、右室部分の入口には被告名表示の看板を出しその入口のガラス戸には被告名標識が掲示されていること、本件室の鍵は被告において所持するほか右桑野や金子も所持しており、室内にはテーブルの外物入の設備もあり、テーブル使用者がこれを共用していること、右使用については前記テーブル料の名目の一定の対価を毎月支払うほかは敷金、権利金等の授受はなく、電気、ガス、水道等の料金は別に桑野から按分で割当てられて支払つていたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。そこで右認定の事実から判断すると、被告は本件室内一定個所に設置されたテーブル物入等を使用することによつて本件室内に出入し、室内空間の一定部分を継続して占有使用し、これに対して定期に一定の対価を支払つているものであり、その関係は必ずしも通常の室の賃貸借とはいいがたいもののあることは否定できないが、さりとてたんに動産たるテーブルの賃貸借というべきでなく、その関係は全体として本件室(及びその使用のためにする踊場)を目的とする賃貸借に準ずる実体を有するものと解してさしつかえないものというべきである。テーブル二脚を桑野及び金子がそれぞれ使用していた間は同人らも本件室内に出入し右テーブル等を使用することによつて室内の一定部分を使用していたものというべく、その意味では被告は本件室(及び踊場)の排他的支配を有しないもののようにも見えるけれども、これは被告がその限りにおいては同人らと共同して占有していたものと解すれば足り、そのことの故に前記認定を左右するには足りない。

また証人城谷孫千代の証言によれば本件ビル附近における室の通常の賃貸借については相当多額の権利金等の授受がなされるので、それをさけるためにテーブルの賃貸借ということにするものであることがうかがわれ、証人桑野球作の証言により成立を認めるべき甲第六号証の記載によれば、桑野は本件一〇三号室の左側半分についても同様テーブル貸をしているがそれについては必要の場合は三ケ月以内に無条件で返却する旨特約があることが認められるけれども、これらの事情は本件が室の賃貸借に準ずるものとすることを否定せしめる本質的なものではない。

そこで被告の右転借につき原告の承諾があつたか否かが問題となるが、まず被告は前記原告と桑野との賃貸借契約に於て、本件室を他に転貸するについては原告の承諾を要しないとの特約がなされていたと主張するが、当初桑野が原告から得た本件ビル二階以下の賃借権は当然他に転貸し得ることを内容としたものであることはこれを了し得るが、同人の右賃借権はその後新研興業組合に全面的に引きつがれ、あらためて自己使用部分だけを組合から転借し、その後組合解散後原告からの直接の賃借となつたものであることは前認定のとおりであり、この桑野の賃借権について被告主張の如き特約の存した事実は本件全証拠によるもこれを認めるに足りないところである。

次に被告は右転借について原告の明示又は默示の承諾があるという。

まず昭和三〇年頃原告代表者が自ら被告の使用している本件室に来て被告に対し本件室の転借を認めると述べ、さらに昭和三二年頃、被告が本件室が暗くて被告の建築設計の仕事に不便であるから新研ビルの屋上に増築してこれを貸与する様申込んだのに対しさしあたり無理であるから本件室を使用しているようにと述べたとの事実、電話設置にさいして原告の承諾を得たとの事実については証人末次通子の証言および被告本人尋問の結果によるもまだこれを認めるには十分でなく、その他に右事実を認めるに足る証拠はない。

しかるに本件ビルの管理人藪多嘉子がビルの入口に被告表示の看板を出したこと、原告代表者の妻が昭和三五年頃一時本件ビルの管理をし、その間被告の事務所に再三出向いたことのあることは当事者間に争なく、前記乙第九号証の一ないし五および証人末次通子の証言および被告本人尋問の結果をあわせると被告は本件室の入口に昭和三〇年頃から「岩波建築事務所」という被告名義の名札を出し、昭和三二年頃からは本件室入口のガラス戸に同様の被告名の標識がかかれていたこと、被告が本件室を昭和二三年頃から使用しているのに対し、原告および本件ビルの管理人藪はいずれもこれを知りつつ昭和三六年五月六日まで何らの異議をも述べることなくこれを默過していたとの事実が認められ、以上の事実のみからすれば原告は本件室の転借につき被告に対し默示の承諾をしていたものと解し得られないでもない。しかし前記甲第七号証、証人桑野球作、藪多嘉子、城谷孫千代、辻一夫の各証言および原告代表者尋問の結果に前認定の諸事実をあわせると被告が桑野から本件室および踊場を前記形式によつて賃借するについては桑野が当時病中にあつたので回復後適当な時に明けるべく、被告は桑野の請求あり次第いつでもこれを明け渡すという約束(これが有効かどうかは別として)で賃借したもので、桑野は二年後病気回復の上被告にしばしば明渡を求めたのに被告はその都度、猶予を求めて右明渡を引延してきたものであつて、その後原告は本件室の入口やガラス戸における前記被告の表示に気付いて桑野に対しこれをとがめたところ、桑野から被告には室を貸したものでなく、たんにテーブルを貸したものに過ぎず、しかも一時使用で自分の要求次第いつでも明け渡すことになつているからといわれてこれを信じ、本件が前記のように少くなくとも室の転貸借に準ずべき実体にあることに思いいたらず、それ以上深くとがめ立てしないで推移したということ、ビル入口の掲示は管理人藪多嘉子が独断で郵便配達人の便宜のため現在者の表示をしたというだけであり、また右管理人の病気欠勤のとき数日間原告代表者の妻が便宜各室に郵便物を配付し、たまたま本件室の被告方にもこれを届けたというに過ぎないことを認めることができ、これらの事情にてらして考えれば本件における前記の各事実はまだ被告の暗默の承諾を意味するものと解することは相当でない。その他に原告の默示の承諾のあつたことを認めるべき証拠はない。

三、以上の次第であるから被告が本件室および踊場を占有する権限は一の転借権といい得るとしてもこれをもつて結局原告に対抗し得ないものというべく、従つてその余の点につき判断するまでもなく被告は、所有者たる原告に対し本件室および踊場を明け渡すべき義務があり、これを求める原告の本訴請求は正当である。

よつてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言およびその免脱につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武)

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